【概要•要約】※小説なのでネタバレになると思いますので、ざっと書きます。また、短編はよかった話のみ抜粋します。
・ヴィヨンの妻
ダメな夫の奥さんが夫の酒代の借金のためにで働くようになって、飲み屋で夫にも会えて幸せだと思っていたけど、飲み屋の客に強姦されてしまう話です。
・桜桃
夫婦喧嘩した夫が飲み屋に逃げ、店で出された桜桃に「子供は桜桃を食べたことがない。食べさせたら喜ぶだろう。」と思うけど飲み続ける話です。
・姥捨
夫婦で自殺しようと、有金を使い最後の贅沢をする途中、夫は「妻は自分といなければ死ななくていい側の人だ」と思う。夫は妻が生き残るような量の薬だけ渡し、自分は大量の薬と首吊りを図るが、結局どっちも失敗して生き残ったという話です。
・燈籠
ある女が惚れた男のために窃盗をし精神鑑定で釈放されるも、色恋の窃盗として面白おかしく報道されてしまう。しかも、窃盗後に男の家は裕福なので窃盗はそもそも不要だったことに気づき、さらに男からは「罪を償うように」という内容の手紙が届く。親が気分転換にと部屋の電球を明るく変えてくれた。この明るさくらいが自分の幸せなのだと思う話です。
・きりぎりす
売れない画家の男の清廉さが好きで結婚したけど、売れるようになって出世したことでお金や世俗に塗れた夫に別れを告げる話です。
•人間失格
幼少期から人が理解できない葉蔵はそのことを他人に暴かれることを恐れ、お茶目な道化を演じるようになるが、道化であることを暴かれることも恐れるようになる。
うまく演じてきたが学校で竹一にだけはその振る舞いがわざとであるとバレ、竹一には葉蔵は「女にモテる」「いい画家になる」と言われる。
その後、「女にモテる」という部分については当たるが、惚れた女と入水自殺するが失敗して女だけ死に、汚れのないところに惹かれて結婚した妻は強姦され、ますます酒に溺れるようになり、酒を止めるためにともらったモルヒネの中毒にもなって、最終的には精神病棟に連れられて「自分は人間失格だ」と思う話です。
※その他、二十世紀旗手、思い出も載ってました。
【感想】
太宰治さんの人間失格を初めて読んだのは中学生の時でした。
当時は人間失格をオマージュにした本を読んで、興味を持って原作も読みたいと思い読んだ本でしたが、正直難しくて分からない部分も多かったです。
ただ、不思議と忘れられない一冊で、再度高校生だか大学生の時に読んでみて、初めて少し理解できました。
そこから少し太宰治さんの他の話も読んだりしました。
そして、社会人になった今読んでみたくなったのでまた読んでみました。
多分、太宰治さんの作品は好き嫌いの別れる作家さんだと思います。
そもそも古い作品なので文体がやや固くて読みにくいと感じる方もいると思いますし、暗い部分が全くない人(というのがいるのか分かりませんが、あってもそれらを克服してきた人など)には太宰治は身勝手で、中二病だとしか見えないと思います。
実際太宰治さんが大嫌いだという友人もいましたし、初めて人間失格を読んだ時も親に「そういう本は読まない方がいい」と言われました。
では、なぜここまで太宰治さんの本が心に残るのか。
改めて読んでみて言葉選びのセンスやどことなく共感できるような衝動や哀愁や絶望感が心に残ると感じました。
蛇足ですが、自分の好みが劇的に何か起こるようなファンタジーやサスペンスより、日常の心情をを書き綴った小説が好きなことと、バッドエンドの話も好きなこともあります。
例えばヴィヨンの妻や燈籠はダメな人に恋して浮かれて、結果不幸になっていて…と報われません。
太宰治さんの話は走れメロスとかは除外し、報われない話も多く、読了後ももやもや感が残ります。
それでもいつの時代にも理屈抜きに恋してしまい、盲目になる人っていますよね。
実際太宰治の妻は大変だったと思うのですが、旦那の借金のせいで働かなきゃいけなくなったと思わず、「飲み屋で働くことで家に帰ってこなくなった旦那が飲みにきてくれてたくさん会える。なんでこんな素敵なことを思いつかなかったんだろう」と思ってるんですよね。
別の本ですが、斜陽でも「人間は恋と革命のために生まれてきた」と名言を残していたと記憶していますし、姥捨や人間失格では希死が先か、恋が先か分かりませんが、好きな人と死んでしまったり、逆に死なないでほしいと言う夫に「一人でも死ぬ」と返す妻が描かれていて、太宰さんから見た女性の強さを感じます。
※自殺は全く推奨しません!
自殺と色恋のイメージが強い太宰治さんの作品ですが、妻と出会う時の純粋無垢なやり取りはとても可愛らしくて好きなんですよね。
お酒をやめたらお嫁になってくれとヨシ子に葉蔵は言うのですが、葉蔵は結局酒を飲んでしまい、そのことをヨシ子に正直に謝るのですが、それをヨシ子は芝居だと言い張り、「キスしてやるぞ」という葉蔵の脅しにも「してよ」と返し、「顔を見なさい、赤いだろう?」と言われても「夕陽が当っているからよ。」と返す。
素敵で微笑ましいですね。葉蔵もこの真っ直ぐで汚れない処女性に惚れて結婚するんですが、かえってこの微笑ましさがヴィヨンの妻でもあるようにこの先汚されてしまうヨシ子と葉蔵の絶望を引き立ててもいます。
一方で、太宰治さん自身の感じる、孤独感や絶望、哀愁も凄まじいインパクトを読者に残すと思います。
昔、この時代の私作家の人生は破滅的になっていったと国語の先生に教わった気がしますが、太宰治さんから見た世界はまさに生き恥、生き地獄です。
その苦しみが太宰治さんの言葉のセンスによって表現されていて、それが素晴らしく、学生の頃より読むと心に刺さるフレーズも多いです。
「恥の多い生涯を送ってきました。」のフレーズは誰しも聞いたことがあるかもしれませんが、それ以外にも刺さるフレーズがたくさんあります。
例えば竹一に道化がバレた時に「自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手にかえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。」という一説があり、読んだ時によくこんなフレーズが思いつくなぁと感心しました。
また、悪友だと思っていた堀木も裏ではしっかり生計を立てていたことが後に分かって、葉蔵は堀木に自殺未遂をしたことに心底幻滅されます。
この時点で結構辛い気持ちになりますが、その後に画家として成功し同等になれたと無意識に思っていた葉蔵は、堀木からはまだ下に見られていることに気づき、堀木に説教されます。
この時の葉蔵の感情として「世間というのは、君じゃないか。」というフレーズもあるのですが、すごく分かる気がしました。
感想がすごく長くなったのですが、読むのに頭を使って疲れはするのですが、自分は割と好きです。たまに読み返したくなる一冊です。
なんだか読書感想文みたいになりましたね。
嫌いな人もいてもいいのですが、食わず嫌いはせず、よければ一度読んでほしいなと思います。